青藍の眠り

kihada2004-06-23

先日の葬式の話。書き忘れていたこととか。


伯父が亡くなったと聞いたのは仕事が終わり家に戻ってからで、午後の8時を回ってました。それまで何も知らなかったわけで、家に戻って父親から電話が来るまで何もわかってなかったのです。状況からして誰かに不幸があったのだろうなということはわかってきていたのですが、誰がそうなったのかわからない。父親もそこら辺をなぜかぼかして話してきます。もうわかってるものと思われているようです。「伯父さんが亡くなったんだから今から来るだろう」と言われて、どこの伯父かわからず、適当に「○○に行けばいい?」と言ったら違う方で、怒られました。


とりあえず行ってみたのです車で20分。行ってみると私の話の中で殺してしまった方の伯父も当然そこにいて、ごめんなさい私あなたを死んだものと思っちゃいましたと心の中で謝ってみました。非常に気まずい感じです。


さて、葬式の日は夜勤明けでした。私は、老健施設で介護員やってます。えー、職業については適当にぼかして書こうと思ってたのですが、割とそれでは不自由で書きづらかったりするので、バラしておきます。
前にも書いたとおり、非常に眠く、睡魔と妄想に襲われてて、故人には重ね重ね失礼でした。黒の靴下が見あたらず、適当に灰色のを履いていって軽く顰蹙買ってみたりしました。


葬式が始まる前に、お坊さんがちょっとした話をしてきたのですが、良く覚えてないのですが、仏教には「幸せ」という言葉が出てこないみたいなことだったと思います。様々な文献を調べ、最近ではインターネットなどで調べたが「幸せ」という言葉は出てこないと。はー、最近のお坊さんはネットするんだなー。あの服きてパソコンいじってたらちょっと面白いなー。顔文字とか使ってたら嫌だなー。
えー、お坊さんの話の続きですが、「幸せ」というのは時代や状況や個人によって異なるため、仏教で幸せになることは出来ないと。でもココロの安寧を得るということなら出来ると。まあ、まったくもってその通りだろうなと思うのですが。宗教ってのは本来、そういうものなんでしょうな。ま、私は何かを信じることはとても出来ないので、宗教に入って心穏やかに過ごすってのは無理だろうけど。